LIFE | LIFE-003

「子どもには迷惑をかけたくない」

私たちはなぜ、そう思うのだろう

公開日:

「子どもには迷惑をかけたくない」

終活について話をしていると、何度も耳にする言葉です。

以前、LIFE-001「伝承することは、『フダン』がキーワード」でも、この言葉を取り上げ、そこには家族を思う気持ちがあるのだろうと書きました。

けれど、その後もこの言葉を耳にするたびに、私は少し考えるようになりました。

本当に、それだけなのだろうか。

「息子はいいんだけど、嫁さんに気を遣うから」という人もいます。

遠慮もある。申し訳なさもある。嫌な顔をされたくないという気持ちもあるのかもしれません。

では、私たちはいったい、何を「迷惑」だと思い、なぜこれほど「迷惑をかけたくない」と思うのでしょうか。

今回のLIFEでは、この言葉から、老いること、人に頼ること、そして親と子の関係について、もう一度考えてみたいと思います。

「子どもには迷惑をかけたくない」

終活について話をしていると、よく耳にする言葉があります。

「子どもには迷惑をかけたくない」

老後のことを話しているときにも、介護のことを話しているときにも、そして自分が亡くなったあとのことを話しているときにも、この言葉は出てきます。

「できるだけ自分のことは自分でしたい」
「介護で子どもの手を煩わせたくない」
「お金の負担をかけたくない」
「自分のことで子どもの生活を変えさせたくない」

そんな話を聞くことがあります。

中には、もう少し率直に、

「息子はいいんだけど、嫁さんに気を遣うから」

という人もいます。

そんな話を聞くと、「迷惑」という言葉の中には、いったい何が入っているのだろうと思います。

「子どもに迷惑をかけたくない」と一言で言っても、その中身は人によってずいぶん違うようです。

子どものことを思っている人もいるでしょう。
自分でできることは自分でしたい人もいるでしょう。
世話になることに遠慮がある人もいるでしょう。
家族との関係が変わることを心配している人もいるでしょう。

では、私たちはいったい、何を「迷惑」と感じているのでしょうか。

そして、なぜそれほどまでに、

「迷惑をかけたくない」

と思うのでしょうか。

元気なうちは、自分でできる

考えてみれば、元気なうちは、私たちはそれほど人に頼らなくても暮らしていけます。

一人暮らしでも、食べるものにはそれほど困りません。

コンビニに行けば、お弁当もおにぎりもあります。スーパーには総菜が並んでいます。少しぜいたくをしたければ、デパ地下に行ってもいい。牛丼屋に入れば、一人でも温かいご飯を食べられます。

家に帰れば、電子レンジがあります。

洗濯は洗濯機がしてくれます。

今の私たちの暮らしには、一人でも生活できるように助けてくれる便利なものがたくさんあります。

だから、

「まだ自分でできる」
「人の世話にはならなくていい」
「子どもには頼らなくていい」

と思うことができます。

でも、ここには一つ、大きな前提があります。

自分が元気であることです。

電子レンジは、食事を温めてくれます。

けれど、熱を出して寝込んで、起き上がることさえつらくなったとき、冷蔵庫から食べ物を取り出して、電子レンジまで運び、温めたものを自分のところまで持ってきてはくれません。

洗濯機も、衣類を洗ってくれます。

けれど、足腰が弱って洗濯物を持って歩くことがつらくなっても、洗濯物を集め、洗濯機に入れ、取り出して干してはくれません。

コンビニも同じです。

どれほど近くにあっても、自分がそこまで歩いて行けなくなれば、買い物をすることはできません。

便利なものは、「自分でできる人」を助けてくれます。
けれど、「自分でできなくなった人」の世話まではしてくれません。

私たちが「一人でできる」と思っている暮らしは、実は、自分の身体が動き、自分で考え、自分で行動できることの上に成り立っています。

元気な今は、そのことをあまり意識しません。

だからこそ、

「子どもには迷惑をかけたくない」

と言えるのかもしれません。

では、それまで自分でできていたことが、できなくなったとき、私たちはどうするのでしょうか。

電子レンジや冷蔵庫、洗濯機などがある、人のいない日常の生活空間

それでも、助けが必要になる

そのとき、必要になるのが人の手です。

「ちょっとこれを取って」
「病院まで連れていって」
「この書類、どうしたらいいの」
「薬をもらってきてくれない」

そんな小さな「お願い」が、少しずつ増えていくことがあります。

自分でできる間は、「頼まない」という選択ができます。

けれど、自分ではどうにもならなくなれば、「頼まない」という選択そのものが難しくなっていきます。

そう考えると、「迷惑をかけたくない」と言えること自体、まだ自分に余裕があるからなのかもしれません。

もちろん、困っても助けを求められない人はいます。

遠慮してしまう人もいるでしょう。誰に頼ればいいのか分からない人もいるでしょう。頼める相手そのものがいない人もいます。

それでも、身体が動かないのに「迷惑をかけたくない」と思っただけで、身体が動くようになるわけではありません。

自分で食事を用意できなくなれば、誰かの手が必要になることがあります。

介助が必要になれば、やはり誰かの手を借りることになります。

そして最後には、死があります。

亡くなったあと、自分の身体を自分で運ぶことはできません。

葬儀をするにしてもしないにしても、自分で自分を火葬することはできません。

住んでいた部屋も、残したものも、自分では片づけられません。

生きている間、どれほど「人に迷惑をかけたくない」と願っていても、最後まで何もかも自分一人ですることはできない。

では、それでも私たちはなぜ、

「迷惑をかけたくない」

と願うのでしょうか。

それでも、なぜ「迷惑をかけたくない」のか

ここまで考えてくると、少し不思議にも思います。

老いや病気によって、自分ではできないことが増えていく。

最後には、どうしても誰かの手を借りなければならない。

それでも私たちは、

「子どもには迷惑をかけたくない」

と言います。

なぜなのでしょう。

最初に出てきた話に戻ってみると、その理由は一つではありません。

子どもに介護をさせたくない。

自分のために仕事を休ませたくない。

お金を使わせたくない。

子どもには子どもの家庭があるのだから、その生活を乱したくない。

そう考えている人もいるでしょう。

そこには、子どものことを思う気持ちもあるのでしょう。

でも、それだけではありません。

「息子はいいんだけど、嫁さんに気を遣うから」

そんな話もあります。

世話になれば、今までとは関係が変わるかもしれない。

何度もお願いするのは気が引ける。

嫌な顔をされるかもしれない。

「また?」と思われるかもしれない。

そこまでいかなくても、毎日のように「ありがとう」「悪いね」と言いながら暮らすことを、気が重いと感じる人もいるでしょう。

自分が誰かの世話をする側だった人なら、なおさらかもしれません。

これまで自分でやってきたことを、人にしてもらわなければならなくなる。

そのこと自体が嫌だという人もいると思います。

こうして一つずつ見ていくと、

「迷惑をかけたくない」という一言の中には、ずいぶんいろいろな気持ちがあります。

  • 子どもの生活を邪魔したくない
  • 世話になることへの遠慮
  • 申し訳なさ
  • 嫌な顔をされたくないという気持ち
  • 人間関係が変わることへの不安
  • 自分のことは自分でしたいという思い

「迷惑をかけたくない」という言葉は一つでも、その中身は同じではありません。

だから私は、

「そんなことを言わずに、困ったら人に頼ればいい」

だけでは済まないように思います。

その人が「迷惑をかけたくない」と言うとき、その人には、その人なりの理由があるからです。

大切なのは、「迷惑をかけたくない」という言葉だけを聞くのではなく、

「あなたは、何をいちばん心配しているのですか」

と、その中身を考えてみることなのかもしれません。

「迷惑をかけない」はできるのか

「子どもには迷惑をかけたくない」

その気持ちには、それぞれの理由があることを考えてきました。

では、実際に「誰にも迷惑をかけない」ということはできるのでしょうか。

元気なうちに、できることはあります。

財産を整理しておく。

自分が病気になったときに、どうしてほしいのかを伝えておく。

介護が必要になったときのことを考えておく。

亡くなったあとのことを決めておく。

そうすることで、家族が困ったり、判断に迷ったりすることを減らすことはできます。

介護についても、家族だけで抱える必要はありません。

介護サービスを利用することもできます。

専門職に相談することもできます。

お金を払って事業者にお願いできることもあります。

つまり、家族にかかる負担を軽くすることはできます。

けれど、

「家族の負担を軽くすること」と、「誰にも迷惑をかけないこと」は違います。

家族に頼らなければ、介護職に頼るかもしれません。

介護職だけではなく、医師や看護師、行政、地域の人、民間のサービスなど、いろいろな人や仕組みの力を借りることになるかもしれません。

福祉の世界には、自立とは「何でも一人でできること」ではなく、必要なときに頼ることのできる先を増やしていくことだという考え方があります。

一人だけにすべてを背負わせるのではなく、頼れる先をいくつも持っておく。

家族にも、専門職にも、制度にも、サービスにも頼ることができる。

そうすることで、一人にかかる負担を小さくすることはできます。

けれど、それは、

誰にも迷惑をかけないということではありません。

人の手を借りながら生きている、ということです。

そして、死んだあとは、それがもっとはっきりします。

自分で死亡後の手続きをすることはできません。

自分で自分を火葬することもできません。

住んでいた家や残したものを、自分で片づけることもできません。

どれほど準備をしても、最後は誰かに託すことになります。

だから、私たちにできるのは、

「誰にも迷惑をかけないようにすること」ではなく、「誰か一人に大きな負担が集中しないようにすること」なのかもしれません。

迷惑をゼロにすることはできない。

でも、負担を小さくすることはできる。

そして、そのために頼れる先を増やしておくこともできます。

※「自立とは依存先を増やすこと」という熊谷晋一郎氏の考え方を参考にしています。出典:厚生労働省資料「講義と演習⑧ 全体のまとめ」

「迷惑をかけないこと」を、子どもに教えるのか

「子どもには迷惑をかけたくない」

この言葉について考えているうちに、もう一つ気になることが出てきました。

親は、子どもを育てます。

小さいころには、ご飯を食べさせます。

着替えを手伝います。

病気になれば看病します。

困ったことがあれば話を聞き、できないことがあれば手を貸します。

そうやって、子どもは大きくなっていきます。

もちろん、親がしたことを、今度は子どもがそのまま返さなければならない、という話ではありません。

「育ててやったのだから、老後は面倒を見ろ」

ということでもありません。

でも、親が子どもに教えることの中には、

人は一人だけで生きているわけではないこと。

困ったときには人の手を借りること。

誰かが困っていたら、自分のできる範囲で手を貸すこと。

そんなこともあるのではないでしょうか。

だとすれば、親が年をとったとき、

「あなたには絶対に迷惑をかけない」

と言い続けることだけが、本当に子どものためなのでしょうか。

子どもに負担をかけないように準備することは大切です。

介護のすべてを子どもに背負わせない。

仕事を辞めなければならないほど頼らない。

お金のことで困らせないように、できる準備をしておく。

それはできると思います。

でも、

「大きな負担を背負わせないこと」と、「親が子どもを頼ってはいけないこと」は違います。

「今日は病院まで連れていってくれないか」

「この書類が分からないから、一緒に見てくれないか」

「ちょっとしんどいから、話を聞いてくれないか」

そんなことまで「迷惑だから」と言えなくなってしまう。

親子なのに、本当に困ったときにも「助けて」と言えない。

私は、それは少し世知辛い親子関係だと思います。

そして、もう一つ考えたいことがあります。

親が、

「人には迷惑をかけるな」

と教えるだけではなく、

「人は、ときには誰かに助けてもらって生きるものだ」

ということも、子どもに伝える必要があるのではないでしょうか。

二つの湯飲みが置かれ、人とのつながりを感じさせる明るい居間

自分が元気なときには、人を助ける。

自分が弱ったときには、人に助けてもらう。

助けてもらったら、「ありがとう」と言う。

そして今度は、自分にできることがあれば誰かに返していく。

そういう人と人との関係を、子どもは親の姿から知っていくのかもしれません。

そう考えると、老いた親が誰かの手を借りる姿を見せることも、必ずしも恥ずかしいことではないように思います。

何でも自分一人でできることだけが、自立ではありません。

そして、誰にも迷惑をかけないことだけが、人として立派な生き方でもないでしょう。

「迷惑をかけないように生きなさい」と教えるだけで、本当によかったのでしょうか。

困ったときには「助けて」と言う。

助けてもらったら「ありがとう」と言う。

そして、誰かが困っているときには、自分のできることをする。

そんなことまで含めて、親から子へ伝えていくことがあるのではないか。

「子どもには迷惑をかけたくない」という言葉を聞きながら、私はそんなことも考えます。

本記事の作成にあたっては、情報の整理や文章表現の補助として生成AIを使用し、内容は当法人において確認・編集しています。

更新履歴

2026年10月6日 公開

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